一ノ名医院の歴史
(昭和30年~昭和45年)

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昭和30年、大正区小林町113番地(現在の大正消防署付近)に厳父、一ノ名 甲(1999年7月19日死去)が一ノ名医院を開設しました。
当時、スクーターで往診に行く父の姿や夜遅くに来る患者さんの姿がおぼろげながら思い出されます。
きたない、狭い診療所でしたが、にぎやかだったと記憶しています。
右の写真は、おそらく昭和39年頃の玄関前での写真です。

一ノ名医院の歴史
(昭和45年~平成11年)

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小林町は材木の町として有名で、社会の教科書にも載っていましたが、時代とともに地盤沈下による埋め立て、市電の廃止に伴い、昭和45年、日本万国博覧会の年に現在の場所に医院を移転することになりました。 この写真は昭和48年頃と思います。
その後、父の医院を継承し現在に至ります。
時代の流れとともに医療のレベルもめざましく進歩し、手術技術も向上し、まさにその移り行く時代に私は大学で修行をしておりました。平成11年7月、父の死去に伴い、この地で一ノ名医院を継承することを決意しました。
当初はいろいろな不安がありましたが、地域の人たちのあたたかい言葉や、40年前診てもらっていたという方からの昔の父の思い出話、来られる患者さんと十分な会話ができるという喜び、なかなか良くならないけどとはっきり言ってくれる患者さん、今やっと、地域のためになんとかなれればと思うようになってきました。

一ノ名医院の歴史
(平成11年~平成18年2月)

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既存の診療所の一階部分を改築(私は平成11年7月から父亡き後診療して来ました)したのが平成11年10月でした。この頃は今まで父が診察していた患者さんになんとか不具合のないようにとそればかり思っていました。

その後、通常の診察に加えて食道胃内視鏡検査や腹部超音波検査を少しずつではありますが、今までの経験を生かし行いました。早期胃がんや胆石が見つかれば信頼できるいい病院に早く送って診てもらおうと努力しました。子どもさんがひきつけを起こせば救急車に一緒に乗って病院に行きました。その間、長い間待っておられた患者さんのことは忘れられません。しかし、患者さんの待合いの順番を間違ったり、疲れた患者さんに気づかずにいろんなことで不愉快な思いをさせてしまったこともありました。いいこともあったし悪いこともあったこの7年間でした。

3 周年で作った記念品の健康保険証のケースもまだ持ってくださるのも嬉しい限りです。

患者さんが一ノ名医院に来られてホッとした、良くなったとか言う声もあればあまり症状が芳しくならなかったり、待合いが狭いとか設備の問題でご迷惑をかけたこともしばしばありました。また職員が不具合を起こすことによって不快感を与えてはいけないとISO9001といってどんなときでも同じサービスが受けられるように職員教育も試み外部からのチェック機構も行うこととしました。しかし、やっぱり来られた患者さんが気持ちよく帰ってもらうためにはまず病状が早く良くなることが一番で、これは私がもっともっと努力することと思っています。

しかし、それ以外にはやっぱり待合室でくつろげる場所の提供も大切な役割りを担っていると考えました。そこで当初はまだまだ先に建て替えをと思っていたのですが、新築に踏み切ることにしました。思い出がいっぱいつまった診療所でしたが、あえて父から数えて35年間、私が来てからの7年間、働かせてもらったこの建物にピリオドを打つこととしました。

一ノ名医院の歴史
(平成18年2月~平成18年10月)

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仮設の診療所に行ってからはちょっと狭いけれどほとんど前と変わらないようにそして出来るだけ無駄のないように物品もそのままにしました。
プレハブなのにもうここでしたらと言われたり、部屋が少なかったために高熱の患者さんに休んでもらえなかったことなど心苦しいことも多くありました。
また工事中も近隣や患者さんにご迷惑をかけたことを本当に申し訳なく思いました。

 

一ノ名医院の歴史
(平成18年11月~現在に至る)

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長い長いと思っていましたが、夏が過ぎると意外と早いもので新医院が完成しました。
大正区に開院してから50年余り。地域の皆様方とともに歩んでまいりました。年配の方には懐かしく安らいでいただき、若い方には新しく感じてもらえるよう昭和の木造校舎をイメージして建て替えました。

まだまだ至らぬ点も多々あるとは思いますが、これからも地域の方々とともに歩み、100年、200年といつまでも皆様のお力になることができるよう精進し続ける所存でございますので、よろしくお願い申し上げます。